自らを「うまい」と感じることが成長の源
「リアクション」は、立派な戦術のひとつである。
相手の動きに合わせ、その体勢のズレやコントロールの乱れを攻撃する。ボールを扱う方が行動としては難しく、それに対して手を打つ。それは論理的な戦い方とも言える。
「後の先を打つ」
それは「兵法」でもある。しかし、落とし穴もあるのだ。
フットボールはゲーム的要素が強く、同じプレーは決して二度起こらないといわれる、「無限の駆け引き」である。
この駆け引きのための技術を競い合うことが原点であり、そこで技術を習得し、用いることを、ほとんどの選手たちが幼少期からの楽しみとしている。その感覚は、プロになって「勝つことが全て」と肝に銘じたとしても、消えずに残る。
「サッカーがうまいと言われたい」
選手には、そのエゴが少なからずある。なぜなら、彼らは「うまい」と言われることで上達し、優越感を得て、サッカー選手として勝ち残ってきた。そもそも、うまい、と自らが感じること、うまくいった、という達成感を味わうことこそ、彼らの無限の力になっているのだ。
昨年12月末、全世界が注目したクラシコ。レアル・マドリー対バルセロナの一戦で、マドリーのジネディーヌ・ジダン監督は、リアクション戦術で首位チームに挑んでいる。マンマークに近いかたちでバルサの攻撃を封鎖。とりわけ、リオネル・メッシに対しては、マテオ・コバチッチが密着するかたちだった。
実はこの戦術、シーズン前哨戦のスーペルコパ(スーパーカップ)での対峙でも、ジダンは採用していた。この時もメッシを、コバチッチが抑えている。トータルスコア5-1という、マドリーの完勝だった。
そして先日のクラシコでも、前半はリアクション戦術が機能。プレッシングとリトリートを併用し、後の先を打ちながら主導権を握っている。ジダンの采配は今回も、的中したかに見えた。
ところが、後半になると様相が変わる。バルサのボール回しが速くなり、捕まえ切れなくなる。そして、イバン・ラキティッチが自陣からボールを運び出す。
この時、ピッチ中央のコバチッチは、それを阻み、追走することもできたはずだ。しかし彼は、それをしていない。脇にいたメッシをケアせざるを得なかったのだ。
結局、マドリーはラキティッチの独走を許し、セルジ・ロベルト、ルイス・スアレスと繋がれて、先制を許してしまった。
相手の動きに合わせ、その体勢のズレやコントロールの乱れを攻撃する。ボールを扱う方が行動としては難しく、それに対して手を打つ。それは論理的な戦い方とも言える。
「後の先を打つ」
それは「兵法」でもある。しかし、落とし穴もあるのだ。
フットボールはゲーム的要素が強く、同じプレーは決して二度起こらないといわれる、「無限の駆け引き」である。
この駆け引きのための技術を競い合うことが原点であり、そこで技術を習得し、用いることを、ほとんどの選手たちが幼少期からの楽しみとしている。その感覚は、プロになって「勝つことが全て」と肝に銘じたとしても、消えずに残る。
「サッカーがうまいと言われたい」
選手には、そのエゴが少なからずある。なぜなら、彼らは「うまい」と言われることで上達し、優越感を得て、サッカー選手として勝ち残ってきた。そもそも、うまい、と自らが感じること、うまくいった、という達成感を味わうことこそ、彼らの無限の力になっているのだ。
昨年12月末、全世界が注目したクラシコ。レアル・マドリー対バルセロナの一戦で、マドリーのジネディーヌ・ジダン監督は、リアクション戦術で首位チームに挑んでいる。マンマークに近いかたちでバルサの攻撃を封鎖。とりわけ、リオネル・メッシに対しては、マテオ・コバチッチが密着するかたちだった。
実はこの戦術、シーズン前哨戦のスーペルコパ(スーパーカップ)での対峙でも、ジダンは採用していた。この時もメッシを、コバチッチが抑えている。トータルスコア5-1という、マドリーの完勝だった。
そして先日のクラシコでも、前半はリアクション戦術が機能。プレッシングとリトリートを併用し、後の先を打ちながら主導権を握っている。ジダンの采配は今回も、的中したかに見えた。
ところが、後半になると様相が変わる。バルサのボール回しが速くなり、捕まえ切れなくなる。そして、イバン・ラキティッチが自陣からボールを運び出す。
この時、ピッチ中央のコバチッチは、それを阻み、追走することもできたはずだ。しかし彼は、それをしていない。脇にいたメッシをケアせざるを得なかったのだ。
結局、マドリーはラキティッチの独走を許し、セルジ・ロベルト、ルイス・スアレスと繋がれて、先制を許してしまった。