なぜコンサドーレは右肩上がりに成長できたのか~野々村芳和社長、5年目の挑戦

2017年07月26日 川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)

サッカーには間違いなく価値がある。それをもっと知ってもらいたい。

試行錯誤しながら、独自の社長像を見出した“ノノさん”。万全の舵取りでコンサドーレ号を牽引する。写真:山崎賢人(サッカーダイジェスト写真部)

 持って生まれた才覚、商才と言うほかない。
 
 北海道コンサドーレ札幌の新社長に就任したのは、2013年3月のこと。それからのおよそ4年間で、経営基盤を見直して立て直し、新たなアイデアや指標を示しながら、クラブの営業収益を上方修正した。当然、チーム強化費も年々増額させ、着実に戦力を増強。そして昨季のJ2で優勝を飾り、ついに5年ぶりのJ1昇格を掴んだ。
 
 野々村芳和、45歳。誰に対してもオープンで、聞く耳も伝える話力も持つ、生粋の兄貴肌だ。
 
「こないだ取材に来てくれた方が、僕の選手時代のコメントを見せてくれたんですよ。コンサの頃の。そうしたら、『一回もボールに触らなくても勝たせる選手になりたい』って言ってたらしい。そんなこと言ってたのか、面白いなと思って。社長業と言っても、いまもそんな感じなんですよ。サッカーには間違いなく価値がある。それだけは信じ切ってるから、あとは目標を達成するためになにができるか。頭を使い、いろんな手を尽くしてます」
 
 名門・清水東高校から慶應義塾大学に進学し、プロの道へ。攻撃的MFとして鳴らし、ジェフ市原、コンサドーレでプレーした。29歳で現役を退き、その後は主にスカパー!でのサッカー解説や番組MCを生業とし、歯に衣着せぬ言動と緻密な分析、親しみやすいキャラクターでファンの人気を得た。
 
 サッカーメディアにおいて不動の立ち位置を確立していた最中、コンサドーレの社長に就任した。引退後も古巣との関係が続いていたとはいえ、突然の転身に、誰もが驚かされた。
 
「サラリーマン経験はまるでないし、リーダー論なんてのも持ってない。苦しい状況にあったクラブを助けたいという想いもあったし、コンサドーレのために、日本のサッカー界のために、僕なりにできることがあると考えた。現役時代はずっと1年契約。メディアの仕事にしたって年契約があるわけじゃないし、解説にしても良ければ次もお願いしますって感じ。でも株式会社の社長って、任期が2年なんですよ。じつは生涯初の2年契約だったんです(笑)」
 
 親会社から派遣された社長ではない。既成概念やしがらみに囚われることなく、思うがままに邁進してきたという。ただ、核となるフィロソフィー(哲学)にブレはない。
 
「根本的に、日本におけるサッカーの価値みたいなものって、まだ多くのひとに分かってもらえてないと思う。勝ち負け以上に大事なもの。サッカーのコンテンツとしての力を、まだ知らないひとたちにも伝わるように活動しなければならない。それが売り上げ増につながって、観客増につながる。で、いい選手が獲れて、チームが強くなっていくサイクル」
 
 Jクラブの経営者として、予備知識は皆無だった。どこかの社長やビジネスメソッドの成功例をモデルにしたのだろうか。
 
「ないですね。まったくない。とかくスポーツビジネスとなると、よくアメリカ的なことを真似したほうがいいと言われる。たしかにエンターテインメント性はなくてはならないけど、そこで競争するものではないと個人的には思っている。
 
 例えば、コンサドーレにはコアなファンの方が1万人くらいいる。それを3万、4万、5万にするのが我々のまずなすべきこと。それくらいのファンが常にいたうえで、次に、エンターテインメント性のところで『どこ行こうかな?』ってひとに目を向ける順番。地域のクラブに携わると、こんなに幸せなことがあるんだよってことを知ってもらわなければいけない。
 
 すごい選手がひとりいて、お客さんをたくさん呼ぶのもひとつの手だろうけど、根本はぜんぜん違うところにある。勝ち負け以外のところで、本当のサッカー文化をどう作っていくかを考えないと。例えば自分の子どもの発表会があるなら、大雪でも観に行くわけじゃないですか。クラブにも、そうした価値を見出してもらわないといけない」

【PHOTO】札幌が誇る美女ダンスチーム『コンサドールズ』
 

次ページJ1にしっかり残るには、強化費が15億円以上はないと厳しい。

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