ハノーファー時代にトップ下にコンバートされ得点力が開花。
マヌエル・ノイアー、メスト・エジル、トーマス・ミュラーといった主力を外し、6人の初招集を含んだ実質Bチームのメンバーで見事にコンフェデレーションズ・カップ2017を制したドイツ代表。そのなかで一際眩い輝きを放ったのが、4試合に出場して3得点を挙げたラース・シュティンドル(28歳)だ。
今大会は3-4-2-1システムのシャドー、もしくは1トップでプレー。オーストラリアとのグループリーグ初戦でユリアン・ブラントの折り返しに合わせて代表初ゴールを挙げると、続くチリ戦でもヨナス・ヘクターのクロスに反応してネットを揺らす。そして、再びチリと相見えた決勝では、敵陣深くでボール奪取に成功したティモ・ヴェルナーのお膳立てから無人のゴールに流し込んだ。これが決勝点となり、ドイツをコンフェデ杯初優勝に導いた。
現在28歳のシュティンドルはボルシアMGで16-17シーズンにキャリアハイの11得点をマークし、その活躍ぶりを評価されてコンフェデ杯のメンバーに選出。それまでの代表歴といえば、U-21で1試合に出場したくらいで、国際舞台とはほぼ無縁のキャリアを歩んできた。
12歳で門を叩いたカールスルーエで頭角を現わし、ハノーファーに引き抜かれたのが2010年夏。当時の主戦場は右サイドハーフやセントラルMFだったが、入団5年目の14-15シーズンに転機が訪れる。トップ下にコンバートされ、眠っていたゴールセンスが開花。10得点をマークし、チームメイトの清武弘嗣、酒井宏樹とともに2部降格の危機に瀕していたチームを残留に導いた。
15年夏には国内屈指の強豪ボルシアMGに引き抜かれ、2年目の16-17シーズンは主にFWでプレー。ブラジル人のラファエウとともに機動力溢れる2トップを形成し、チームを力強く牽引した。
決定力もさることながら、特筆に値するのがポジショニングセンス。的確なタイミングでスペースに顔を出し、シンプルなパス&ゴーで崩しのクオリティーを高める。コンフェデ杯でもその持ち味を存分に発揮し、「ラースのパフォーマンスは完璧だった」とヨアヒム・レーブ監督から絶賛された。
「(代謝障害で離脱中の)マリオ・ゲッツェに代わってシュティンドルを偽の9番としてすべき」
複数のドイツ・メディアが報じているように、CFのレギュラーが定まっていない世界王者にとって、シュティンドルの“ゼロトップ”は、連覇を狙うワールドカップに向けて有効なソリューションのひとつになるだろう。
ドイツ代表におけるコンフェデ杯における最大の収穫は、このシュティンドルの台頭だったと言っていい。
文:ワールドサッカーダイジェスト編集部
今大会は3-4-2-1システムのシャドー、もしくは1トップでプレー。オーストラリアとのグループリーグ初戦でユリアン・ブラントの折り返しに合わせて代表初ゴールを挙げると、続くチリ戦でもヨナス・ヘクターのクロスに反応してネットを揺らす。そして、再びチリと相見えた決勝では、敵陣深くでボール奪取に成功したティモ・ヴェルナーのお膳立てから無人のゴールに流し込んだ。これが決勝点となり、ドイツをコンフェデ杯初優勝に導いた。
現在28歳のシュティンドルはボルシアMGで16-17シーズンにキャリアハイの11得点をマークし、その活躍ぶりを評価されてコンフェデ杯のメンバーに選出。それまでの代表歴といえば、U-21で1試合に出場したくらいで、国際舞台とはほぼ無縁のキャリアを歩んできた。
12歳で門を叩いたカールスルーエで頭角を現わし、ハノーファーに引き抜かれたのが2010年夏。当時の主戦場は右サイドハーフやセントラルMFだったが、入団5年目の14-15シーズンに転機が訪れる。トップ下にコンバートされ、眠っていたゴールセンスが開花。10得点をマークし、チームメイトの清武弘嗣、酒井宏樹とともに2部降格の危機に瀕していたチームを残留に導いた。
15年夏には国内屈指の強豪ボルシアMGに引き抜かれ、2年目の16-17シーズンは主にFWでプレー。ブラジル人のラファエウとともに機動力溢れる2トップを形成し、チームを力強く牽引した。
決定力もさることながら、特筆に値するのがポジショニングセンス。的確なタイミングでスペースに顔を出し、シンプルなパス&ゴーで崩しのクオリティーを高める。コンフェデ杯でもその持ち味を存分に発揮し、「ラースのパフォーマンスは完璧だった」とヨアヒム・レーブ監督から絶賛された。
「(代謝障害で離脱中の)マリオ・ゲッツェに代わってシュティンドルを偽の9番としてすべき」
複数のドイツ・メディアが報じているように、CFのレギュラーが定まっていない世界王者にとって、シュティンドルの“ゼロトップ”は、連覇を狙うワールドカップに向けて有効なソリューションのひとつになるだろう。
ドイツ代表におけるコンフェデ杯における最大の収穫は、このシュティンドルの台頭だったと言っていい。
文:ワールドサッカーダイジェスト編集部