【黄金世代】第2回・遠藤保仁「サッカー人生を大きく変えた、1999年の躍動」(♯2)

カテゴリ:特集

川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)

2017年05月24日

無理やろ、このメンバーで試合に出るのはって。

黄金世代について問われると、遠藤は何度も「最強」という言葉を繰り返した。あのチームでプレーして、誇らしかったと。写真:小倉直樹(サッカーダイジェスト写真部)

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 鹿児島実では1年時から頭角を表わし、九州では「遠藤3兄弟」の末弟として、サッカー関係者の間では知らぬ者がいないほど有名だった。
 
 それでも、年代別の日本代表とは縁遠かった。ようやくお呼びがかかったのは、市川大祐や飯尾和也らひとつ下の世代で構成されたU-16日本代表から。早生まれだったため高2のときに招集を受けたが、それでも、公式戦出場は果たせなかった。

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 初めて日の丸を背負って臨んだ大会が、清雲ジャパンでのSBSカップだった。あわや「サクラジマ」という仇名が定着しかねない事件が起きた大会だ。ただひたすら、同年代のレベルの高さに舌を巻いたという。
 
「とにかく、最強。当時もいまも、この言葉しか思い浮かばない。
 
 もう最初に入ったときは、無理やろ、このメンバーで試合に出るのはって思った。あの頃はね。そこから、コイツらを負かすにはどうしたらいいかをすごく考えるようになった。俺の立場からしたらそれしかないよ。より努力しよう、より自分の良さを出そう、アイツらにないものを出すしかないって。
 
 だからみんながライバルやった。シンジ(小野伸二)は知ってたけど、タカ(高原直泰)とかミツオ(小笠原満男)は知らんかったんで、練習やゲームで初めて見て、『あ、なんだこれ。すげえ巧い』って。本当に、よくもあれだけ固まったよね。次から次に出てきたからさ。バン(播戸竜二)とかカジ(加地亮)も。自分の世代ってすごいなって当時から誇らしかった。いいライバル関係を築けてたと思う」

 
 とりわけ、ボランチは逸材の宝庫だった。
 
 クラブユース界の第一人者である稲本潤一がいて、U-17世界選手権を経験した酒井友之、そして秋以降は、帝京で名を揚げた中田浩二も幅を利かせていた。「特別意識してたわけじゃないけど、やっぱり負けたくないって気持ちは強かった」と明かす。
 
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