南ア戦は「良くも悪くも、いつもの日本」だった。
韓国の勝利を見届けた昨夜、私はちょっと格好をつけて、こんなふうに書いた。
「明日は日本の未来を見届けに行くぞ」
日本の未来といっても過言ではないU-20代表、その初戦の印象は「良くも悪くも、いつもの日本」だった。
南アフリカに逆転して、価値ある勝利を飾ったチームに「いつもの日本」。ちょっと厳しい論評だが、偽らざる気持ちである。
「悪くも」というのは、個人の力量が見劣りすること。目の前の敵をかわすことができる南アフリカの選手に比べて、日本は1対1で勝負できない。そのため横へのパスが多くなる。意外性がなく、プレーが淡泊なのだ。ボールを触ることを怖がっているようにすら見える。
前夜に見たアルゼンチンやギニア、韓国と比べると、癖がない。素直。勝ったのは日本だが、個人で秀でていたのは南アフリカだった。中盤を仕切った21番セレなどは、惚れ惚れするようなさばき、仕掛けを見せてくれた。
ではなぜ、個人の力量で劣る日本が勝てたのか。それは「良くも」に当てはまることだが、チームとしてのまとまりや継続性で南アフリカを上回ったからだ。
後半に足が止まった南アフリカに対して、日本は最後まで勤勉に走り続けた。前半振り回された守りも、最後まで持ち堪えた。
1日で4か国が見られるU-20ワールドカップは、各国のプレースタイルが比較できるという意味で、とても興味深い。プレースタイルは、そのまま国民性といってもいい。
そして案の定、日本は日本人らしいゲームをした。私たちはやっぱり、まじめながんばりやさんなのだ。ちょっとつまらないかもしれないけれど。
才能は小さくても、団結してまじめに取り組む日本に対して、南米やヨーロッパ、アフリカの国々は才能に恵まれた奔放な連中が、自由に自分を表現する。
果たして、どちらがいいのだろう。
私は、この年代では個人が際立つべきだと考えている。というのも、目の前の敵を外すようなプレーは、20歳前後から習得するようなものではないからだ。その一方で、チーム戦術というのは後からでも間に合う。まずはひとりで戦えることが重要だ。
「明日は日本の未来を見届けに行くぞ」
日本の未来といっても過言ではないU-20代表、その初戦の印象は「良くも悪くも、いつもの日本」だった。
南アフリカに逆転して、価値ある勝利を飾ったチームに「いつもの日本」。ちょっと厳しい論評だが、偽らざる気持ちである。
「悪くも」というのは、個人の力量が見劣りすること。目の前の敵をかわすことができる南アフリカの選手に比べて、日本は1対1で勝負できない。そのため横へのパスが多くなる。意外性がなく、プレーが淡泊なのだ。ボールを触ることを怖がっているようにすら見える。
前夜に見たアルゼンチンやギニア、韓国と比べると、癖がない。素直。勝ったのは日本だが、個人で秀でていたのは南アフリカだった。中盤を仕切った21番セレなどは、惚れ惚れするようなさばき、仕掛けを見せてくれた。
ではなぜ、個人の力量で劣る日本が勝てたのか。それは「良くも」に当てはまることだが、チームとしてのまとまりや継続性で南アフリカを上回ったからだ。
後半に足が止まった南アフリカに対して、日本は最後まで勤勉に走り続けた。前半振り回された守りも、最後まで持ち堪えた。
1日で4か国が見られるU-20ワールドカップは、各国のプレースタイルが比較できるという意味で、とても興味深い。プレースタイルは、そのまま国民性といってもいい。
そして案の定、日本は日本人らしいゲームをした。私たちはやっぱり、まじめながんばりやさんなのだ。ちょっとつまらないかもしれないけれど。
才能は小さくても、団結してまじめに取り組む日本に対して、南米やヨーロッパ、アフリカの国々は才能に恵まれた奔放な連中が、自由に自分を表現する。
果たして、どちらがいいのだろう。
私は、この年代では個人が際立つべきだと考えている。というのも、目の前の敵を外すようなプレーは、20歳前後から習得するようなものではないからだ。その一方で、チーム戦術というのは後からでも間に合う。まずはひとりで戦えることが重要だ。