ハリルホジッチが目指すのは、敵にとって嫌なチーム、さらに言うなら厄介なチームだ。
年内最後のゲームとなったサウジアラビア戦で、私はハリルホジッチ監督を見直すことになった。
いままで私は、この監督を評価していなかった。前任者のザッケローニやアギーレに比べて、何がしたいのかが見られず、またUAEにホームで敗れるなど結果も物足りなかったからだ。
だがサウジとの大一番で、ハリルホジッチ監督はしっかりと答えを出した。勝利という結果だけでなく、「私はこれがやりたかったんだ」という内容を見せてくれた。
サウジ戦の日本は、特に前半が良かった。
前線からの鋭い出足で圧力をかけ、局地戦では激しい寄せでボールを奪いに行く。そしてボールを奪うと、間髪入れずに縦へ――。
日本は出足の鋭さ、激しさによって試合の主導権を握った。
私が評価したいのは、日本が敵に嫌がられるプレーに徹したところだ。
敵を壊すことで、自らに流れを引き寄せる。これは従来の日本代表に欠けていた姿勢である。
「自分たちのサッカー」を信奉するザックジャパンは、ボールを支配すると強いが、ボールを持てないと淡泊に負けていた。
その象徴的な一戦が、ブラジル・ワールドカップのコロンビア戦だ。自分たちの長所であるテクニックで凌駕された日本は、いいところなく1-4の逆転負けを喫した。
自分たちのサッカーができないときに、何ができるか。
コロンビアとサウジではレベルが違う、というのはさておき、サウジ戦の日本は、コロンビア戦で突きつけられた課題に答えるプレーを見せたのだ。
ハリルホジッチが目指すのは、敵にとって嫌なチーム、さらに言うなら厄介なチームだ。上手いが淡泊だった従来のチームから、上手くはないが、敵にとって厄介なチームになろうとしている。
これは外国に譬えると、ブラジルからウルグアイになろうとしているのだと思う。
近年は陰りが見えるが、ブラジルはいままで世界一のタレント軍団だった。どんなチームと対戦しても、ボールを支配されることはまずない。だが、それだけに思うように攻められないとリズムを崩し、あっさりと負けることもあった。上手さゆえの脆さである。
いままで私は、この監督を評価していなかった。前任者のザッケローニやアギーレに比べて、何がしたいのかが見られず、またUAEにホームで敗れるなど結果も物足りなかったからだ。
だがサウジとの大一番で、ハリルホジッチ監督はしっかりと答えを出した。勝利という結果だけでなく、「私はこれがやりたかったんだ」という内容を見せてくれた。
サウジ戦の日本は、特に前半が良かった。
前線からの鋭い出足で圧力をかけ、局地戦では激しい寄せでボールを奪いに行く。そしてボールを奪うと、間髪入れずに縦へ――。
日本は出足の鋭さ、激しさによって試合の主導権を握った。
私が評価したいのは、日本が敵に嫌がられるプレーに徹したところだ。
敵を壊すことで、自らに流れを引き寄せる。これは従来の日本代表に欠けていた姿勢である。
「自分たちのサッカー」を信奉するザックジャパンは、ボールを支配すると強いが、ボールを持てないと淡泊に負けていた。
その象徴的な一戦が、ブラジル・ワールドカップのコロンビア戦だ。自分たちの長所であるテクニックで凌駕された日本は、いいところなく1-4の逆転負けを喫した。
自分たちのサッカーができないときに、何ができるか。
コロンビアとサウジではレベルが違う、というのはさておき、サウジ戦の日本は、コロンビア戦で突きつけられた課題に答えるプレーを見せたのだ。
ハリルホジッチが目指すのは、敵にとって嫌なチーム、さらに言うなら厄介なチームだ。上手いが淡泊だった従来のチームから、上手くはないが、敵にとって厄介なチームになろうとしている。
これは外国に譬えると、ブラジルからウルグアイになろうとしているのだと思う。
近年は陰りが見えるが、ブラジルはいままで世界一のタレント軍団だった。どんなチームと対戦しても、ボールを支配されることはまずない。だが、それだけに思うように攻められないとリズムを崩し、あっさりと負けることもあった。上手さゆえの脆さである。