諸手で歓迎の意を表わしたFC東京と自己責任での競争参加を提示した東京V。
「あの天才少年、なんていう名前でしたっけ?」
取材で対面している都並から、そう聞かれたのは、シドニー五輪から4年後のことだった。
「その子、ウチ(東京ヴェルディ)が獲りに行っていますよ」
祐希は小学6年生になっていた。 ちょうど東京ヴェルディ(以下、東京V)と同時に、FC東京むさしも獲得の意思を伝えてきた。 FC東京U-15 は、それまで深川で活動してきたが、小平市に「むさし」を新設したばかりで、挨拶に来たのは当時育成責任者の城福浩だった。
「間違いなく、6年後にはプロにします」
そう力説する城福は、やがてU-17日本代表監督を経て、トップチームの監督に就任していく。
一方で東京Vは、対照的にシビアな現実を突きつけた。
「もし中学3年間取り組んでみて、サッカーに向かないと判断すれば、別の道に進むように指導します」
FC東京むさしなら自転車で通える。父・拓也は「そのほうがいいだろう」と勧めた。しかし祐希が選択したのは、諸手で歓迎の意を表わしたFC東京むさしではなく、自己責任での競争参加を提示した東京Vのほうだった。もちろん判断の基準は、担当者の挨拶だけではなかった。
「夏には東京トレセンで埼玉国際に出場し、優勝しています。このチームにはのちに東京Vに進む仲間が6~7人いたので、また一緒にやりたい気持ちもありました」(拓也)
東京都第4地域(当時)から東京都トレセン(男女共通)に選ばれたのは、祐希と岩渕真奈(現バイエルンL)だけだった。ちなみに埼玉国際決勝で対戦したのは青森トレセンで、祐希より20センチ近くも大きかった柴崎岳(現・鹿島)が身体能力、技術ともに抜けていたという。
「それに東京Vジュニアユースの菅澤大我監督の言葉も新鮮に響いたようです。練習に通う時なども、ジャージではなく、お洒落にも気を遣えるような人間になれ、と。そんなことは他で言われたことがなかったですからね」(拓也)
それは連綿と引き継がれる“ヴェルディ主義”と言えるかもしれない。 かつてユース日本代表を指導した小見幸隆は、タイ遠征中の食事の席で「僕は何でも食べられます!」と宣 言した選手を、逆に突き放した。
「だからおまえのサッカーはダメなんだ。それはおまえの健康のためにはいいよ。でも食事や女にこだわりのないヤツは、サッカーにもこだわりを持てない」
取材で対面している都並から、そう聞かれたのは、シドニー五輪から4年後のことだった。
「その子、ウチ(東京ヴェルディ)が獲りに行っていますよ」
祐希は小学6年生になっていた。 ちょうど東京ヴェルディ(以下、東京V)と同時に、FC東京むさしも獲得の意思を伝えてきた。 FC東京U-15 は、それまで深川で活動してきたが、小平市に「むさし」を新設したばかりで、挨拶に来たのは当時育成責任者の城福浩だった。
「間違いなく、6年後にはプロにします」
そう力説する城福は、やがてU-17日本代表監督を経て、トップチームの監督に就任していく。
一方で東京Vは、対照的にシビアな現実を突きつけた。
「もし中学3年間取り組んでみて、サッカーに向かないと判断すれば、別の道に進むように指導します」
FC東京むさしなら自転車で通える。父・拓也は「そのほうがいいだろう」と勧めた。しかし祐希が選択したのは、諸手で歓迎の意を表わしたFC東京むさしではなく、自己責任での競争参加を提示した東京Vのほうだった。もちろん判断の基準は、担当者の挨拶だけではなかった。
「夏には東京トレセンで埼玉国際に出場し、優勝しています。このチームにはのちに東京Vに進む仲間が6~7人いたので、また一緒にやりたい気持ちもありました」(拓也)
東京都第4地域(当時)から東京都トレセン(男女共通)に選ばれたのは、祐希と岩渕真奈(現バイエルンL)だけだった。ちなみに埼玉国際決勝で対戦したのは青森トレセンで、祐希より20センチ近くも大きかった柴崎岳(現・鹿島)が身体能力、技術ともに抜けていたという。
「それに東京Vジュニアユースの菅澤大我監督の言葉も新鮮に響いたようです。練習に通う時なども、ジャージではなく、お洒落にも気を遣えるような人間になれ、と。そんなことは他で言われたことがなかったですからね」(拓也)
それは連綿と引き継がれる“ヴェルディ主義”と言えるかもしれない。 かつてユース日本代表を指導した小見幸隆は、タイ遠征中の食事の席で「僕は何でも食べられます!」と宣 言した選手を、逆に突き放した。
「だからおまえのサッカーはダメなんだ。それはおまえの健康のためにはいいよ。でも食事や女にこだわりのないヤツは、サッカーにもこだわりを持てない」