磐田の監督となった名レフティが、元天才少年についてコメント。
足もとにサッカーボールを置いた少年が、そびえ立つ高木を見上げる。ディレクターは、サッカー少年が世界の頂を夢見るイメージを描こうとしたはずだ。
16年前のシドニー五輪最終予選、日本が本大会出場を決めたカザフスタン戦の生中継はそんなシーンで始まった。昵懇のフジテレビ・プロデューサーから「例の天才少年を使いたいんですけど……」と相談を受けた僕は、一応彼の父に話をつないだ。
「サッカーのためになるなら僕はやるよ」
そう言って少年は、長い撮影に我慢強く協力したという。ただし使用されたのは、ほんの数秒だったので「え! これだけなの?」と、さすがにそこは落胆したそうだ。
初めて少年を見たのは、幼稚園のグラウンドだった。親子サッカーで間近に接して目を見張った。とにかく一つひとつのプレーに明確な意図があり、大人の間を巧みにすり抜け結論を導いていく。まだ年中(5歳)の子が、左サイドへのドリブルで複数のマークを引き寄せて、逆サイドの開いたスペースを使おうとする。
「まるであの頃の名波だな……」
頭に浮かんだのは、東京・国立競技場で初めて見た清水商2年生の名波浩だった。とにかくボールを受ける度に、狙いのあるプレーを懸命にやり遂げようとする姿が印象的だった。線が細くスピードはなかったが、雑なプレーがひとつもなかった。こういう子がしっかり育ってほしいけれど潰されちゃうのかな……と危惧していたが、順天堂大進学後は見違えるように逞しく変貌した。
「1試合ごとにパフォーマンスも良くなっているので、期待してもらっていいと思います」
不思議な縁を感じる。磐田の監督となった名レフティが、大宮戦でJ1初ゴールを挙げた元天才少年についてコメントをしているのだ。
フットボーラーは荒波の上を生きていく。誰もが天才と称賛した少年も、何度か波にさらわれかけた。最大のピンチは、磐田移籍後に訪れる。
最初につけたサックスブルーの背番号は「50」、理由は公にしていないようだが、19歳で主将を務めた東京V時代から5倍増の選択には、相応の想いや覚悟が込められていた。だがそんな胸の内とは裏腹に、チームは降格し自身も公式戦のピッチから遠ざかっていく。
16年前のシドニー五輪最終予選、日本が本大会出場を決めたカザフスタン戦の生中継はそんなシーンで始まった。昵懇のフジテレビ・プロデューサーから「例の天才少年を使いたいんですけど……」と相談を受けた僕は、一応彼の父に話をつないだ。
「サッカーのためになるなら僕はやるよ」
そう言って少年は、長い撮影に我慢強く協力したという。ただし使用されたのは、ほんの数秒だったので「え! これだけなの?」と、さすがにそこは落胆したそうだ。
初めて少年を見たのは、幼稚園のグラウンドだった。親子サッカーで間近に接して目を見張った。とにかく一つひとつのプレーに明確な意図があり、大人の間を巧みにすり抜け結論を導いていく。まだ年中(5歳)の子が、左サイドへのドリブルで複数のマークを引き寄せて、逆サイドの開いたスペースを使おうとする。
「まるであの頃の名波だな……」
頭に浮かんだのは、東京・国立競技場で初めて見た清水商2年生の名波浩だった。とにかくボールを受ける度に、狙いのあるプレーを懸命にやり遂げようとする姿が印象的だった。線が細くスピードはなかったが、雑なプレーがひとつもなかった。こういう子がしっかり育ってほしいけれど潰されちゃうのかな……と危惧していたが、順天堂大進学後は見違えるように逞しく変貌した。
「1試合ごとにパフォーマンスも良くなっているので、期待してもらっていいと思います」
不思議な縁を感じる。磐田の監督となった名レフティが、大宮戦でJ1初ゴールを挙げた元天才少年についてコメントをしているのだ。
フットボーラーは荒波の上を生きていく。誰もが天才と称賛した少年も、何度か波にさらわれかけた。最大のピンチは、磐田移籍後に訪れる。
最初につけたサックスブルーの背番号は「50」、理由は公にしていないようだが、19歳で主将を務めた東京V時代から5倍増の選択には、相応の想いや覚悟が込められていた。だがそんな胸の内とは裏腹に、チームは降格し自身も公式戦のピッチから遠ざかっていく。