ジーコが中村俊輔と心中したのは、10番に対する特別な感覚からだった。
J1リーグのピッチが時代の移り変わりを告げている。今年に入って新しく10番を背負った選手たちが6人も躍動したからだ。
10番はチームの看板である。それはなでしこジャパンを見れば分かりやすい。長年10番を背負って戦ってきた澤穂希が現役を退くと、途端にメディアの視線は新しい10番の大儀見優季に集中した。
看板には期待とともに重責がかかる。なかでも鹿島の10番は格別だ。初代はブラジル代表でも10番を背負ったジーコである。そのジーコは、日本代表監督時代に中村俊輔に告げたという。
「自分からプレーができないと直訴してこないかぎり、俺はお前を使い続ける」
その言葉どおりにジーコは、2006年のドイツ・ワールドカップでも高熱を発症した中村俊輔を使った。常々ジーコは主張していたそうだ。
「看板選手というのはそういうものだ。ピッチに立つだけで警戒され、それがチームのメリットになる」
まるでその伝統を引き継ぐかのように、鹿島の新しい10番・柴崎岳は、虫垂炎の手術を終えたばかりだというのに開幕戦のピッチに立った。同じくプラチナ世代のリーダー・宇佐美貴史がベンチスタートのG大阪から、敵地で勝点3の奪取に成功した。
看板は簡単には変わらない。鹿島でもジーコの後は、ビスマルクが5年間、本山雅志は実に14年間も10番を背負い続けた。長い間同じ看板を掲げられたことが、伝統クラブの証とも言える。10番がコロコロと変わるようでは、チームの成績も安定しない。
10番はチームの看板である。それはなでしこジャパンを見れば分かりやすい。長年10番を背負って戦ってきた澤穂希が現役を退くと、途端にメディアの視線は新しい10番の大儀見優季に集中した。
看板には期待とともに重責がかかる。なかでも鹿島の10番は格別だ。初代はブラジル代表でも10番を背負ったジーコである。そのジーコは、日本代表監督時代に中村俊輔に告げたという。
「自分からプレーができないと直訴してこないかぎり、俺はお前を使い続ける」
その言葉どおりにジーコは、2006年のドイツ・ワールドカップでも高熱を発症した中村俊輔を使った。常々ジーコは主張していたそうだ。
「看板選手というのはそういうものだ。ピッチに立つだけで警戒され、それがチームのメリットになる」
まるでその伝統を引き継ぐかのように、鹿島の新しい10番・柴崎岳は、虫垂炎の手術を終えたばかりだというのに開幕戦のピッチに立った。同じくプラチナ世代のリーダー・宇佐美貴史がベンチスタートのG大阪から、敵地で勝点3の奪取に成功した。
看板は簡単には変わらない。鹿島でもジーコの後は、ビスマルクが5年間、本山雅志は実に14年間も10番を背負い続けた。長い間同じ看板を掲げられたことが、伝統クラブの証とも言える。10番がコロコロと変わるようでは、チームの成績も安定しない。