アジアカップのUAE戦でも選手たちは油断していた。
カンボジアに苦戦する日本の戦いぶりを見て、ふと思い出したのが悪夢のUAE戦だった。
【PHOTOギャラリー】カンボジア 0-2 日本
2015年1月、オーストラリアで開催されたアジアカップのUAE戦当日。シドニーにあるメディアセンターでの話題はもっぱら、「明日からのホテルをどうするか」だった。
日本がUAEを破って準決勝に勝ち進めば、対戦相手はホスト国のオーストラリア。前回大会(2011年)のファイナルと同一カードの舞台が、大都市のシドニーやメルボルンよりもずっとホテルが少ないニューカッスルとあって、日本人記者の一部は宿探しに躍起になっていた。
またある人たちは、日本が決勝で当たるかもしれないイランとイラクの一戦(メディアセンターでライブ中継されていた)にクギ付けになっていた。日本対UAE戦がすでにキックオフされているというのに、PK戦にもつれ込んだ中東対決の結末を見届けてから、記者席に来る者もいたほどだ。
かくいう自分も、UAE戦のキックオフ直前に「明日は、どの選手に話を訊こうかな」などとぼんやり考えていた。要するに、日本が勝つものと踏んでいた。そして明らかに油断していたのは、選手たちも同じだった。
英国の一般紙『デイリー・テレグラフ』のスミシーズ記者が「日本はおそらく試合前から準決勝のことを考えていた」と試合後に指摘したとおり、確かに選手たちのプレーに気持ちが入っていなかった。そうでなければ、7分の失点は説明がつかなかった。
開始直後にあっさり裏を取られたにもかかわらず、その6分後に同じようなカウンターを許しているのだから、“過信”が招いた失態だった。その証拠にアンカーの長谷部誠は「先制されるまで集中を欠いていた」と素直にコメントしていた。
ただ、日本の敗因は「油断」だけではない。着目すべきはUAEの戦い方だった。
とりわけ、トップ下が主戦場の0・アブドゥラフマンが4-4-2の右サイドで先発し、日本の守備陣を少なからず混乱させた点は見逃せない。この司令塔を潰しに行くのはアンカーの長谷部か、左SBの長友か、日本が妥当な対応策を見出せないうちにまんまと先制したUAEは、直後に4-2-3-1へと変更。O・アブドゥラフマンを定位置のトップ下に戻したのだ。
以降のUAEは割り切った守り方で日本の攻撃を防いでいた。たとえサイドでボールを支配されても、中央のエリアは突破させない。ボールに食い付かず、ゴール前に入っていた日本の選手をとにかく抑えるようなディフェンスで、上手く凌いでいた。
シュート数は日本の35対3。しかし、前半途中からハーフコートゲームと言っても差し支えない試合展開だったにもかかわらず、ゴールネットを揺らしたのはわずか1回だった。柴﨑のミドルで追いつくのが精いっぱいだった日本は結局、PK戦の末に敗れた。
あの悪夢から約10か月が経過した今も、日本はフラストレーションの募るサッカーを続けている。八百長疑惑で解任されたアギーレからハリルホジッチに指揮権が移っても、引いた相手を攻め崩すのに苦労し、油断からピンチを招いているのだ。これは、見逃せない事実だろう。
【PHOTOギャラリー】カンボジア 0-2 日本
2015年1月、オーストラリアで開催されたアジアカップのUAE戦当日。シドニーにあるメディアセンターでの話題はもっぱら、「明日からのホテルをどうするか」だった。
日本がUAEを破って準決勝に勝ち進めば、対戦相手はホスト国のオーストラリア。前回大会(2011年)のファイナルと同一カードの舞台が、大都市のシドニーやメルボルンよりもずっとホテルが少ないニューカッスルとあって、日本人記者の一部は宿探しに躍起になっていた。
またある人たちは、日本が決勝で当たるかもしれないイランとイラクの一戦(メディアセンターでライブ中継されていた)にクギ付けになっていた。日本対UAE戦がすでにキックオフされているというのに、PK戦にもつれ込んだ中東対決の結末を見届けてから、記者席に来る者もいたほどだ。
かくいう自分も、UAE戦のキックオフ直前に「明日は、どの選手に話を訊こうかな」などとぼんやり考えていた。要するに、日本が勝つものと踏んでいた。そして明らかに油断していたのは、選手たちも同じだった。
英国の一般紙『デイリー・テレグラフ』のスミシーズ記者が「日本はおそらく試合前から準決勝のことを考えていた」と試合後に指摘したとおり、確かに選手たちのプレーに気持ちが入っていなかった。そうでなければ、7分の失点は説明がつかなかった。
開始直後にあっさり裏を取られたにもかかわらず、その6分後に同じようなカウンターを許しているのだから、“過信”が招いた失態だった。その証拠にアンカーの長谷部誠は「先制されるまで集中を欠いていた」と素直にコメントしていた。
ただ、日本の敗因は「油断」だけではない。着目すべきはUAEの戦い方だった。
とりわけ、トップ下が主戦場の0・アブドゥラフマンが4-4-2の右サイドで先発し、日本の守備陣を少なからず混乱させた点は見逃せない。この司令塔を潰しに行くのはアンカーの長谷部か、左SBの長友か、日本が妥当な対応策を見出せないうちにまんまと先制したUAEは、直後に4-2-3-1へと変更。O・アブドゥラフマンを定位置のトップ下に戻したのだ。
以降のUAEは割り切った守り方で日本の攻撃を防いでいた。たとえサイドでボールを支配されても、中央のエリアは突破させない。ボールに食い付かず、ゴール前に入っていた日本の選手をとにかく抑えるようなディフェンスで、上手く凌いでいた。
シュート数は日本の35対3。しかし、前半途中からハーフコートゲームと言っても差し支えない試合展開だったにもかかわらず、ゴールネットを揺らしたのはわずか1回だった。柴﨑のミドルで追いつくのが精いっぱいだった日本は結局、PK戦の末に敗れた。
あの悪夢から約10か月が経過した今も、日本はフラストレーションの募るサッカーを続けている。八百長疑惑で解任されたアギーレからハリルホジッチに指揮権が移っても、引いた相手を攻め崩すのに苦労し、油断からピンチを招いているのだ。これは、見逃せない事実だろう。