グラウンドで仲間がプレーしているのを見ながら、「サッカーがしたい」と言っていた。
J1第1ステージ・2節の仙台戦で左膝前十字靭帯損傷、全治約7か月の怪我を負った増嶋竜也が、9月28日に全体練習に合流した。
約半年もの間、増嶋のリハビリを担当していたのがメディカルスタッフのひとりで、理学療法士の赤井寛之氏である。以前、負傷離脱後に予定より早い復帰を果たした大津祐樹は、「赤井さんが良い治療をしてくれたおかげです」と感謝の意を述べていたが、選手たちからの信頼は非常に厚い。
手術を終え、退院して柏に戻ってきた時から、増嶋と赤井氏の二人三脚でのリハビリが始まった。膝の可動域を広げるメニューに始まり、回復の具合を見て歩行距離を伸ばしつつ、低下した筋力の回復に努めるなど、まずは基礎的なリハビリを毎日繰り返していた。
その中で、赤井氏が特に重要視したのはPNFと呼ばれるトレーニング方法である。
「手術をすると、脳からの指令通りに筋肉が動かないことがあり、それが原因で怪我が再発したり、痛みが出ることがあるのでPNFは毎日やっていました。PNFとは、こちらから抵抗をかけて押し返したり、片足で立った状態で叩いて刺激を与えるといった神経系のトレーニングです」
そのPNFの効果が現われ、動きに幅が出てくると、スクワットや片足のバランス運動を取り入れ、室内での軽いジョギング、おもりを使った筋トレ、ステップ動作など、増嶋は復帰へ向けて順調に歩みを進めていった。
シーズン当初から、増嶋は吉田達磨監督の目指す新たなスタイルへ順応し、彼自身も好調を維持している時期に負った大怪我だっただけに、離脱直後のみならず長いリハビリ期間中はメンタルの強い増嶋とはいえ精神的に厳しい時期があったことだろう。赤井氏はその様子をこう語っている。
「とても辛そうでした。自分は外に出られない状態で、トレーニングルームの中からグラウンドで仲間がプレーしているのを見ながら、いつも『サッカーがしたい』と言っていました。でも本人も頑張らなければいけないという気持ちがあったんだと思います。気持ちが落ちた時もありましたが、その都度彼は這い上がってきて努力していました。メンタルが落ちるとリハビリの効果も薄れてしまうので、そこは私も気を付けていました」
約半年もの間、増嶋のリハビリを担当していたのがメディカルスタッフのひとりで、理学療法士の赤井寛之氏である。以前、負傷離脱後に予定より早い復帰を果たした大津祐樹は、「赤井さんが良い治療をしてくれたおかげです」と感謝の意を述べていたが、選手たちからの信頼は非常に厚い。
手術を終え、退院して柏に戻ってきた時から、増嶋と赤井氏の二人三脚でのリハビリが始まった。膝の可動域を広げるメニューに始まり、回復の具合を見て歩行距離を伸ばしつつ、低下した筋力の回復に努めるなど、まずは基礎的なリハビリを毎日繰り返していた。
その中で、赤井氏が特に重要視したのはPNFと呼ばれるトレーニング方法である。
「手術をすると、脳からの指令通りに筋肉が動かないことがあり、それが原因で怪我が再発したり、痛みが出ることがあるのでPNFは毎日やっていました。PNFとは、こちらから抵抗をかけて押し返したり、片足で立った状態で叩いて刺激を与えるといった神経系のトレーニングです」
そのPNFの効果が現われ、動きに幅が出てくると、スクワットや片足のバランス運動を取り入れ、室内での軽いジョギング、おもりを使った筋トレ、ステップ動作など、増嶋は復帰へ向けて順調に歩みを進めていった。
シーズン当初から、増嶋は吉田達磨監督の目指す新たなスタイルへ順応し、彼自身も好調を維持している時期に負った大怪我だっただけに、離脱直後のみならず長いリハビリ期間中はメンタルの強い増嶋とはいえ精神的に厳しい時期があったことだろう。赤井氏はその様子をこう語っている。
「とても辛そうでした。自分は外に出られない状態で、トレーニングルームの中からグラウンドで仲間がプレーしているのを見ながら、いつも『サッカーがしたい』と言っていました。でも本人も頑張らなければいけないという気持ちがあったんだと思います。気持ちが落ちた時もありましたが、その都度彼は這い上がってきて努力していました。メンタルが落ちるとリハビリの効果も薄れてしまうので、そこは私も気を付けていました」