慎重かつ抜け目ないサッカーで実績を積んできたカルチョの将。
現在のクラウディオ・ラニエリは、豊かな経験に根ざしたチームマネジメントを最大の武器にしている監督だ。
キャリアの初期(1980年代末)には、コンパクトな4-4-2システムをベースにしたアグレッシブな守備と人数をかけた攻撃という、当時としては革新的なスタイルを打ち出していた。
しかし、キャリアを経るなかで徐々に、チーム全体に組織的な戦術を浸透させるよりも、むしろ高い個人能力を持った選手を中心に据えてその力を引き出すチームを構築するタイプの監督へと変化してきた。
近年彼が率いてきたチームはいずれも、失点しないことに重きを置いた慎重な振る舞い、相手のミスや偶然のチャンスを逃さずに得点に結びつける抜け目のなさを特徴としており、ボールポゼッション、組織的なメカニズムによるスピードに乗った攻撃といったコレクティブな戦術はあまり重視されていない。
タイプ的には、ラファエル・ベニテス、カルロ・アンチェロッティといった監督たちに近い。
基本とするシステムは、4-4-2、もしくは4-2-3-1。手持ちの戦力から、持てる力を最もよく引き出せることを重視して布陣を組み立てるが、4バック+2ボランチという基本ユニットはほとんど常に保っている。
細かい戦術的約束事をチームに浸透させるよりは、オーソドックスな戦術の枠組みをチームに提示し、そのなかで個々のプレーヤーが持ち味を発揮できるように微調整していくというアプローチを取っている。
バレンシア、パルマ、ローマで見せたように、困難に陥ったチームを途中就任で立て直す手腕に優れているのも、こうした調整型のチーム作りを得意としているがゆえだ。
2011-12シーズンに途中就任したインテルでは、シーズン後半に大きく調子を落として3月末に解任されたが(後任はアンドレア・ストラマッチョーニ)、この時のインテルはクラブそのものが混迷を極めていたので、致し方ないところもあった。
その後は、モナコでリーグ・ドゥ(フランス2部)優勝、リーグ・アン2位(1位は格上のパリ・サンジェルマン)という結果を残し、昨シーズンはギリシャ代表監督に就任した。60歳を超えたベテラン監督にとって、クラブから代表ヘのシフトはキャリアとしては自然な流れと言える。
ギリシャでのチャレンジは失敗に終わったものの、その後も代表監督としてのキャリアを続けるのだろうと思っていた。その点からすると、プレミアリーグ中位のクラブからのオファーを受け入れるという今回の決断は、ある意味では意外なものだった。
キャリアの初期(1980年代末)には、コンパクトな4-4-2システムをベースにしたアグレッシブな守備と人数をかけた攻撃という、当時としては革新的なスタイルを打ち出していた。
しかし、キャリアを経るなかで徐々に、チーム全体に組織的な戦術を浸透させるよりも、むしろ高い個人能力を持った選手を中心に据えてその力を引き出すチームを構築するタイプの監督へと変化してきた。
近年彼が率いてきたチームはいずれも、失点しないことに重きを置いた慎重な振る舞い、相手のミスや偶然のチャンスを逃さずに得点に結びつける抜け目のなさを特徴としており、ボールポゼッション、組織的なメカニズムによるスピードに乗った攻撃といったコレクティブな戦術はあまり重視されていない。
タイプ的には、ラファエル・ベニテス、カルロ・アンチェロッティといった監督たちに近い。
基本とするシステムは、4-4-2、もしくは4-2-3-1。手持ちの戦力から、持てる力を最もよく引き出せることを重視して布陣を組み立てるが、4バック+2ボランチという基本ユニットはほとんど常に保っている。
細かい戦術的約束事をチームに浸透させるよりは、オーソドックスな戦術の枠組みをチームに提示し、そのなかで個々のプレーヤーが持ち味を発揮できるように微調整していくというアプローチを取っている。
バレンシア、パルマ、ローマで見せたように、困難に陥ったチームを途中就任で立て直す手腕に優れているのも、こうした調整型のチーム作りを得意としているがゆえだ。
2011-12シーズンに途中就任したインテルでは、シーズン後半に大きく調子を落として3月末に解任されたが(後任はアンドレア・ストラマッチョーニ)、この時のインテルはクラブそのものが混迷を極めていたので、致し方ないところもあった。
その後は、モナコでリーグ・ドゥ(フランス2部)優勝、リーグ・アン2位(1位は格上のパリ・サンジェルマン)という結果を残し、昨シーズンはギリシャ代表監督に就任した。60歳を超えたベテラン監督にとって、クラブから代表ヘのシフトはキャリアとしては自然な流れと言える。
ギリシャでのチャレンジは失敗に終わったものの、その後も代表監督としてのキャリアを続けるのだろうと思っていた。その点からすると、プレミアリーグ中位のクラブからのオファーを受け入れるという今回の決断は、ある意味では意外なものだった。